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人の心の回復と癒しがもたらす奇跡

先日、伊豆諸島のとある島に野生のイルカたちと泳ぐ機会に恵まれました。
私はイルカが大好きなので毎年ハワイ島に行ってはドルフィンスイムを楽しみにしていますが、まさかこんな近くでドルフィンスイムができる場所があるなんて思いもしませんでした。この写真はそのときに私が潜って撮ったものです。

そして、今回一緒に同行してくれたのが卒業生のMさん。もともとダイブマスターでダイビングの達人だったのですが、そんな彼女が私の目の前に受講生として現れた五年前を思い出して、はっとしました。だって、彼女は私の目の前で杖をついて歩行し、片側のお顔が歪んで苦しそうな状態だったのです。その彼女がいまでは私の目の前で、水を得た魚のように自由に泳いでいるのを見て、とてもとても五年前の彼女とは別人です。

まさに奇跡ですね。彼女が五年前からどうして身体の問題を抱え、そこから、心理の問題に取り組んでいくうちに、みるみると身体の問題までもが解決してしまったという、その奇跡のような体験談を今回はご本人の了解を得て掲載しますね。

伊豆の島で野生のイルカと泳ぐドルフィンスイム

以下はMさんのこれまでの軌跡です。ご本人の言葉で語られています。

地獄のような日々

私の生き辛さは、毎日繰り返される両親の喧嘩に巻き込まれ怯えていたので幼少期から始まっていました。
毎夜、このまま目が覚めなければいいのにと死の欲求に追い立てられるような「絶望」的な生き辛さを意識したのは、16年前に結婚をして夫婦二人で暮らすようになり親と別居するようになってからのことです。

問題ばかり起こす親族の中で、常に機嫌の悪い両親のもとで、他人を信じられない父と体裁を過度に気にする母の躾は厳しく、表向きはうまくいっている穏やかな家族を演じる必要もあったので、周囲の人間関係で親しい付き合いなどもなく、他所で助けを求めることもできませんでした。表裏の激しい生活で、現実とウソとの境界がないような環境だったと思います。

躾の過程で「他人は信用できないから家族だけを大切に」「親の思う通りにするのが親孝行」と「自分がされて嫌な事は他人にするな」「出来ないと言ってはいけない」等、自分の考えや感情を素直に自由に出すことはイケナイことだと思い込み、逃げ場のない息苦しさがありました。

親より幸せになるのは許されない

小学生のころ先生から「思った通り書きなさい」と言われた作文や読書感想文が書けなくて困っていたのを強く覚えています。
親の期待に応えるために、自慢のできる娘として家庭生活を守る役割があったので、親のだす「ダメだし」が判断基準になり私の問題のほとんどが「いかに親を喜ばせるか」となり、成人して職場でも私に起きる問題は常に「こんなに自分を犠牲にしているのに、報われない」という人生パターンを繰り返し、安らぐ人間関係を体験することはなく、それがまた普通だとも思っていました。

そのうち身体的にも強弱の差があらわれるようになって慢性的に疲労はたまり、偏頭痛や腰痛、神経痛、ヘルニア、アトピー、定期的に感染症を患うようになり不定愁訴は増えるばかりでした。

 結婚が決まって親から「親より幸せになるのは許さない」と言われて、気づけば仕事で月120時間以上の残業をすることで、「精いっぱい頑張っているけど、できない」という親への言い訳にしていました。

私の幸せや楽しみは、親に対して罪悪感が生まれるので板挟みとなりました。
妹が癌になり介護生活をしたあとに他界。

生きることへの絶望

母から「親を見捨てるな、離れるな」と強要されたことで、人生はじめての反抗的な行動をした私を親は絶縁にしました。

「親不孝した私は生きている価値はない」と結果的には、「この場からいなくなりたい・・・私の居場所がない」と失踪を繰り返し、「もう思考を止めたい・・・私に選ばさないで」とODで病院に運ばれるようになりながら休職と復職を繰り返すうちに、乳癌や免疫力が落ちてウィルス疾患(「ハント症候群」左顔面マヒ・難聴・平衡機能障害・視力障害・味覚障害・嚥下障害・・・)となり、ふらつきによる杖歩行などの障害を残し、寝たきりになりました。

この時の感覚としては「もう何もしなくてもいいのだ」という安堵感と、「生きている価値もない」という絶望、自分という人間がまったくわからないようになっていました。

心理に出会うきっかけ

心療内科に6年かよい、院内で心理療法をうけていてもマイナーからメジャートランキライザーへと強さも量も増え、麻痺によるふらつき・聴力・嚥下障害やまばたき不全の治療の改善もみられず、病院での治療への期待を失っていました。
(私は25年以上、医学部や病院で勤務してきたので一長一短があることは体験で理解していいました)

ネガティブな妄想に囚われることの多いTVやPCは恐怖でパニックを起こすので利用することはありませんでしたが、体調のよいときに書店で見つけた「心理」の本がきっかけとなり心療内科(病院)のなかでの心理療法以外でも心理セラピー(癒し)があるということを知りました。

そこからは、ネットで検索して自分が少しでも気になる心理セラピスト主催のコミュニティーを自発的に選んで参加する、ということが自然とできていました。

ついで個人セッションを受けるようになり、今迄、他者に認めてもらえるように他人軸で「選んで」きたことと、自分らしく生きるために自分軸で「選ぶ」ことの違いを、セラピーの中で体験し気づくようになり、自分ものではない思考や制限を見つけだし、何故、そのような制限を自分に課したのかを知り、あらためて自分はどう生きたいのかを決意して、自分自身を認めていく作業をセラピストさんと続けていくうちに、断薬もスムーズで通院も3か月で終わらせることができました。

心身の回復と同時に感情も取戻し、自分にますます興味をもつようになると今度は自分に効果のあった「心理学」の世界にも興味が湧き自分を癒しながら自然と学ぶようになっていました。

心理セラピーを受けた後の心の状態と身体の状態

私は人の期待に応える事が生き残る手段で、応えられないことは「死」に直結した恐怖を持っていたということがわかり、発症を繰り返し回復できなかったのも結果的には言動でSOSを表現せず心の器である肉体でSOSを表現していたということになります。

私の成長過程で無意識に生きる手立てとして選んで決めてきたわたしの生き方はこれでした。
「生きていてごめんなさい」「生まれてきてごめんなさい」であり「親の期待に応えずに幸せになる価値はない」でした。

セラピストさんが用意してくれた安心できる環境で、自分に起こったあらゆる問題を紐解き、それらが本当に自分の問題であったのかを知るために過去の出来事を身体の感覚が伴うように意識を集中させ追体験することができ記憶のなかの思い込みをはずすことで体内に閉じ込められていた感情があふれ湧いてくるようになりました。

全身で怒りや悲しみ、恐怖を人前で出すことができ助けを求めて癒されるセラピーを受けた直後から、身体の緊張がほぐれるようになっていました。

折り重なった原因を段階的にセラピーを受けているうちに罪悪感が抜けて、自分の選択や結果にたいして後悔し、責めることが減り行動することへの過剰な恐れもなくなり生きやすくなっていました。

心が覚醒することで麻痺が回復へ向かう

麻痺していた私本来の心が覚醒することで、麻痺していたはずの顔の皮膚感覚や耳の聞こえがスイッチが切り替わったように回復してきたのを覚えています。

セラピーと出会ったころの私は、麻痺についての障害は医師から、年齢的にもこれ以上の改善の見込みがないことを宣告されていたので病院での治療や体質改善の民間療法をあきらめ絶望のもっとも大きかったところで、心理セラピーが大きな変化を作ってくれました。

セラピーでは病気や障害が治るという治療や対処療法というよりは、ストレスフリーな状態や真の安心感によるところが大きくて身体の自己再生や自己治癒能力を高めてくれるもののようで、セッションが終わったからといってほどなくして戻るということが今のところはありません。

私の身体は壊れて行くと思っていましたが、この経験で身体の能力は心が自由に放たれると自然に治癒し再生する本来の力を取り戻せることを実感しています。

私にとって「病気」でいることは人に嫌われたり、傷つけることなく他人の期待に応えずにすむ免罪符であったのが、他人の期待を基準に生きる必要のない心理状態になったということなのでしょう。

私の人生に心理セラピーがあるということはとても頼もしく、健康を取り戻し、時間を有意義に使えるようになり自分の人生を自分で選び、決めた事に責任をもつという自由の醍醐味を少しずつ育てていけます。
自分の世界に新しい驚きと発見があり明日が来るのが愉しくなるような人生になり感謝しています。

https://youtu.be/wvBjn0zOtus