2020年2月 東京リトリーブ応用実践コース6期卒業生の声

2020年2月卒業の東京リトリーブサイコセラピー応用実践コース卒業生の感想を一部掲載しています。

カズ姐さんを信頼して良かった!         関根由香さん

思い起こせば、自分の繰り返すパターンに猛抵抗し、焦りを抱いて不躾なメールを送る事で必死に扉をこじ開けようと、藁をもつかむ思いで助けを求めたのが2017年の年末の事でした。その節は手を差し伸べて頂き、ありがとうございました。私にとって、1dayセミナーで始まった2019年令和元年の1年間は、これまでの人生で最も有意義に過ごした日々でした。1dayでは、生きていたいと思っていない自分に出会い、共依存の怖さを体感しました。そこから基礎コースを終えた時には、癒しを経て、過去の延長線上にある未来ではなく、変化を起こすことが自分にも出来るんだ!ここから未来を創っていく力があるのだ!と確信し。応用コースでは、明け渡していた自分をとりもどして、自分を生きるという事は、こうして行くんだよ!と徹底的に叩き込んでいただいたように感じています。言うなれば心のケアからリアビリへと。

座学で知識として学び、これまでの自分の変化を顧みる。人へ出来るようになっていくための行動を興し”生きる”という事を身体に落として行く。応用コースには、成長していく為の環境と仕組みが整っていました。

何よりセッションの練習では、お互いに無意識に恐怖心から避ける部分に、人と共にあり、見守ってもらえてるという安心を感じながら、自分の中の深いところに向かって行くための道筋をつける事ができて、問題の原因が意識の層に持ち上がってきたように思います。

人を掘る際のスタンスが、自分が長年慣れ親しんだ感覚で、聞いて”あげる”とか、解決して”あげる”といった、相手のために”しよう”とすれば進まなくなり…自分の人との関わり方が顕になる。ただただ自分が習得するよう努める。そうした結果、相手にも得られることがある。と知る。このプロセスこそが、小さな成功体験となる。学んだ知識を行動に移して、失敗することからも学びとり、次の行動に活かしていく。これを繰り返すことによって、技術と同時にこれまでの人生で経験してこなかった”成功体験を積む=新たな生き方”を身に着けた時間だったのだと思います。この自然な流れの中で、自分の問題にも、自問自答と練習を通して核心に近づいて行かれたので、より明確に問題を自覚して、自分が解決していく決意を持ってセッションに臨めたように思います。

また、アシスタントの皆さんから練習後に頂くフィードバックや、フェイスブックグループへの気づきのシェアに頂くコメントからも、私たちへの関わり方、着眼点、質問の仕方、成長への促し方、見守る温かさなどなど。たくさんの事を学ばせて頂きました。

身体の変化
腰痛、頭痛がなくなりました。
身体の重さを感じるようになりました。

意識を向ける方向の変化
対人関係でモヤモヤしたり、イライラした時に、なんでこの人はこうなんだろう?と、常に相手に意識を向けていた。

私は何を感じてる?何を伝えたい?どうしたい?と、自分の内側に意識が向くようになりました。

原家族の悪いところにばかり意識が向いていた

原家族から受け継ぎたい部分に意識が向くようになった。

現家族が失敗だと思ってた。

これから、いくらでも創り上げていけるし、まだまだ途上中だと思うようになった。

自分の守り方の変化
親すら信じることが怖く、自分をさらけ出すという事をしたことがしなかった。
自分を諦めることで、命を守っていた。

信じられる人を信じ、安心して胸の内を出そうとするようになり、
まわりを変える事を諦め、自分を全うしようと本音を守るようになりました。

妄想の世界から現実に
妄想の世界に逃げ込んで生き長らえる心の癖があり、
知識を得ることで変わったように錯覚し、心理の世界ですらに逃げ込む先だった。

現実の地に足をつけ、心理を使いこなすツールと捉えるようになった。
瞬間瞬間に、自分が何を選び、どう行動するのか?を思考するというシンプルさが腑に落ちた。

結果に対する恐怖の変化
出来た、出来ない。そんな結果に自分の価値や存在意義を紐づけていた。

プロセスや動機を大切にし、結果はついてくるものだと思えるようになった。

などなど。感覚が変化することで、世界観が変わりました。ずっと心理を学んできたけれど、この変化を実感できたのはリトリーブだからこそだと思っています。世の中には色々な切り口でのアプローチがあり、いくつか足を運びもしましたが...この変化は体験できませんでした。

何がちがうのか?それは、実体験に基づいた経験を通して創り上げ、常に検証と進化を続けているリトリーブは、理論をつなぎ合わせただけのものとは別次元にあるのだと思います。

見えない世界のことは、誰しもが不安で怖く感じるのだろうけれど、私はリトリーブのそこに、それを続けるかず姐さんを信頼して良かった!と心底思っています。苦しくて、どうしたらいいのかわからない人こそ、遠回りをせずに、今まで踏ん張って、頑張ってきたエネルギーをリトリーブの扉を開く勇気に向けて欲しいなぁ。と思います。

機能不全家族育ちで、家族の温かさや人の優しさを知らずに育った私が、血の繋がりこそないものの、チームリトリーブの皆さんにファミリーのような、フレンドシップというよりも深さのある感覚を感じていています。(造語ですがファミリーシップという表現がしっくりくる)これは、同期の仲間の皆さんにも感じています。同志という感覚かもしれません。この出会いと経験は、生涯の宝です。

まだまだ道半ばです。セラピストになりたい?というより、心理の世界が、リトリーブが大好きです
セッションを着地できるようになるまで学びを続けたい。今はそれだけですが、そのプロセスを大切にしていきたいと思っています。これからも、よろしくお願いします。

 

自分をごまかさず自分と向き合えた講座でした    M.Aさん  

基礎講座を受講、卒業しましたがその後普段の生活、仕事に戻り基礎終了時に自分に課した自分軸で生きる。何となく自信が持てない、まだ心の中にモヤが掛かってる?これでこのままでいいのか?暫く問いかける日々と
なり、これまた悩んで応用へ進む事を決めました。

基礎は癒しがベースでしたが、応用は更に心理知識と深掘りで、掘り練は正直しんどかったです。私の問題である『人が怖い』(人への恐怖)がある中で相手へ質問する(聞く)というのが難しく、何をどう聞けば?状態になり、頭が真っ白になった事もしばしばでした。動画でセラピー手順、ビリーフ等詳細を学びながら掘り練で実践しましたが、自分の中で何だか分からない未消化な気持ちと、不安が入り混ざり、どうにも前に進む自信を無くしかけた時に講座内でセッションを受けて、基礎の時に出なかった、出せなかった恐怖を扱ってもらい、恐怖で体が震えてどうしようもない状態で死にたい底の感情、感覚になった時、暫く頭、体がフリーズでしたが、そこからようやく自分を知った感覚で、人が怖くてもそれでもいい、バツを付けないが府に落ち、講座後半から応用目的の徹底的に自分に向き合う事、そして掘り練での実践に集中出来たと思います。(ますみさんから『ここは大鶴幼稚園で皆一緒。焦ることないし、1人じゃないから。助けるから』と言ってもらえて、不思議と体の力が緩められました。その時の感覚は今でも大切にしています)

カズさん、セラピストの皆さん、そして基礎からの仲間に恵まれ、励まされ、安心安全の場が本当に大きな力になりました。自分では気付かなかったのですが私は後半から顔も、雰囲気も変わったと言われ私、成長出来たんだな、と嬉し
かったです。自分をごまかさず、自分に更に向き合うと決めたこの応用講座、受講して良かったです
ありがとうございました。

 

講座で感じた温かさが胸に残っています    kimmyさん

基礎から応用へと進み、講座生同士で質問し合い、自分自身と深く向き合い続けることで、当初あんなに怯えていた夫と対等に話し合えるようになり、自分はどうしたいか?を意識して快適に過ごせるようになっていました。応用講座の半分を過ぎた頃には、約一年でこんなにも変われるんだと、リトリーブサイコセラピーに対する驚きと尊敬を抱くようにもなっていました。そして、リトリーブは破壊と創造、等身大の自分を見つめることが大事、偽ポジティブはダメ・・・と、講座を受けながら理解を深めていたある日、その時はやってきました。

「できない自分を受け入れられないのは私自身」、「私は妄想の世界で生きている」と指摘され腑に落ちたとき、
これまで作り上げてきた「私」という人間の張りぼてにくさびが打ち込まれて、粉々に崩れ落ちる感覚があったのです。まさに「破壊」です。これまでの私の人生は何だったんだろう?と悲しくなり、目指す場所さえも見失い、呆然とし脱力していました。そして迎えた講座最後の二日間。私が実際はどんな人間なのかを、嫌と言うほど見せつけられました。そこには、見たくない認めたくないちっぽけな私自身がいて、苦しかったです。

等身大の自分を見つめられないのは私、いい人ぶって偽ポジティブ満載だったのも私、私ってこんな人間なだ・・・。こんな私がなぜ生きているんだろう?生きていかなければならないんだろう?と、自分自身を受け止めることが苦しかったです。でも、講座を振り返ると、いつも本音をさらけ出しつつ支えてくれた仲間達がいて、カズさんをはじめアシスタントの方々も暖かく見守っていてくれて、その暖かさに触れたからこそ、自分の深いところと向き合う覚悟ができたのだと思います。

講座修了後は、これまで感じられなかった感情がわいてきたり、ずっと無いものにしてきた母親を求める気持ちが溢れたり、自分の人生に対して絶望したり、内面が忙しかったです。また、自分自身の腹黒い部分もどんどん見えてきて、
私ってこんなに最低なやつだったんだと気づいたりもしています。それでも、気持ちを立て直して自分自身に戻れるのは、講座で感じた暖かさが胸に残っていることと、「私はどうしたい?」と自分自身に問いかけることが習慣になっているからだと思います。やっと本来の自分自身を受け止める覚悟ができて、これからの人生を自ら選んでいく「創造」の時を迎えました。まだまだ解決したい問題はたくさんあるけれど、行ったり来たりしている感が多いけれど、リトリーブという安心安全の暖かい場所を得たので、迷いながら、何度も絶望しながら、自分自身に戻る旅を続けたいと思います。ずっと寄り添い支えてくれたカズさん、アシスタントの皆さん、講座の仲間達、感謝感謝です。出逢ってくれてありがとうございます。

 

心から信じられる仲間ができました    A.Hさん  

 
 

私は、基礎コースでは癒しは感じていたものの、自分の問題が全然解決できないまま終わってしまいました。このままでは終われない、もっと自分と向き合いたい、そんな気持ちで応用コースを受講しました。そして、間をあけずに応用に進んだのは、基礎で出逢った仲間達と一緒に学びを続けたいという思いも大きかったからです。

自分の問題も解決できていないのに他人の問題を見ていくなんてできないと、セラピストとしての練習も最初は積極的になれませんでした。できない、わからないの日々でしたが、やり続けるうちに、できるようになりたいという気持ちに変わっていきました。掘り練をすることは私にとって、一番苦手な「考える練習」となっていました。そして、他人の問題を見ようとすると自分の問題を突きつけられる場にもなっていました。
また、掘り練をすることで、相手の気持ちを知ることは、自分と相手では同じ物事でも捉え方、感じ方が違うということも学びました。それからは人とのコミュニケーションが少し変わってきたように思います

日々の生活は、今でも感じることは恐怖で、脳を止めて感覚感情を切ってわからなくさせてしまうことも多く、パニックを起こしそうになることもあります。でも、今まで過剰に反応していたことが、少しずつではあるけれど薄くなっていることに気づくこともあったりして、こうやって少しずつ自然と楽になっていくのかなぁと思ったりしています。基礎が終わった時、「どうしよう!?全然変わってない!」と思っていたけど、今は「ん?ほんの少しずつだけど変わってきてるかも。」という感覚があります。

自分の頭で考えられるようになりたい。わからなくする自分はもうやめたい。今はそんなふうに思っています。そして、言語化とアウトプットができるようになって、自分の気持ちや考えを表現できるようになりたいです。

応用コースは得るものがたくさんありましたが、私にとって一番は、心から信じられる仲間ができたことです。こんなに心の中をさらけ出しても受け止めてくれる仲間ができて、幸せだなぁと思います。安心して繋がれる喜びを感じられること、どんな自分でも受け入れてもらえる安心感があります。リトリーブは家族みたいにあたたかい場所です。

カズ姐さん、ますみさん、あやさん、ヤコーさん、じゅんさん、ようちゃん、真剣に向き合ってくれて、見守ってくれてありがとうございました。リトリーブに来て、本当に本当に良かったです
これからも学び続けていきたいので、よろしくお願いします!

 

悩んでいる人がいたらぜひ受けてほしいです!   Hさん 

 

応用コ―スでは、今までこんなに自分のことを感じたことがないくらい、自分と向き合うことができた貴重な10日間となりました。基礎の時よりグーンとレベルが上がり、心理内容も深くなり、しくみがわかるにつれて、ますます興味深く学びを進めることができました。愛着の大切さ、投影のしくみ、ビリーフが特に勉強になりました。

私が苦戦したのは、掘り練です。自分の思い込みや問題にぶつかり、クライアントの問題を掘ることができず、何がこうなっているんだろう?と自分と向き合わざるを得ない日々でした。次はここをクリアしようと臨むのですが、相手が変われば、また違う自分の問題が出てくることの連続でした。「最終日にはテストがあるからね」と言われていたこともあり、このことに身体が反応してしまい、焦るし、頭は混乱するしで、途中、何度「逃げたい」と弱音を吐き出していたか、わからないほどです。その度に仲間やアシスタントさんから話しを聞いていただき、とても心強かったです。

掘り練を通して相手と自分は違う人間、感覚も違うこともあるから、そのためには質問しながらコミュニケーションを取り、相手の世界観を感じていくことの大切さを体感できました。後にこのことがきっかけで自分の気持ちにも少しずつ気がつき、対話できるようになってきました。また、相手と話す中で曖昧な表現があったり、よくわからない時には、質問で聞けるようになってきました。

私は恋愛がうまくいかず、復縁したくて、自分が変われば相手も変わるかもしれないと、基礎のときには、まだまだ相手を変えようとしていました。応用の後半くらいから、あれほど復縁したかった元彼のことを考えていない日が多くなり、あんなにも元彼しか見えていなかったけれど、その人でなくてもいいかな。と思えている自分の変化にびっくりです。

セッションでは家から離れられない、自立できないをテ―マとしてきました。幼少期の親子関係で身につけてきた恐怖の蓋があき、悲しみ、つらさ、やりきれなさ、絶望感を味わいました。基礎で癒されたと思っていたけれど、再び人が怖い、不安が出てきました。どんなときでも、アシスタントさんがその心に寄り添い、思いを受け止めてくださり、また仲間の方の見守りや一言々々があたたかったです。

アシスタントさんが「解決していけるからね」「私もそういうことあったよ」などと声をかけていただき、私もなんとかできるかもしれないと未来を向いていけそうと思えました。今は親と境界線を引いて過ごそうと試みています。

幼少期の未完了の感情が大人になっても生きづらさにつながっているので、リトリ―ブでは自分では気づくことができない無意識部分にセラピストさんが気づきを与え、感情を解放していくというプロセスなので、知らず知らずのうちに体感が変わっていくので、悩んでいる方がいましたら、受けて見ることをオススメいたします。私は遠方からでしたが、毎月学びに行くことを楽しみに日々がんばる原動力になっていました。

このような安心、安全の場所、自分のすべてをさらけ出しても受け入れてくれるリトリ―ブのカズさん、アシスタントの皆さん、仲間の皆さん、かけがえのない大切なひとときを過ごさせていただきましてありがとうございました。出会いとたくさんのあたたかさに感謝の気持ちでいっぱいです。

これからも学び続けていきます!
自分と向き合い、自分の足で立って、自分の人生を生きていけるようにを目標です。そして、自分を大切にして生きていきます‼️いろいろな大切なことを本来ならば、家族から培うはずだったことを教えてくださりありがとうございました。

 

 本気でどうなりたいか自分に問いています   Nさん

 

「心や身体に起きた変化」

*朝起きる時の動悸やパニックがほぼなくなった
*以前より自分の頭で考えられるようになった
*以前より”失敗する恐怖”が薄くなった
*自分のために少し泣けるようになった(以前は自分に対して意識が向いてなかった。自覚は無し)
*少しずつではあるが、、自分で物事を決めていけるようになった
*他人との境界線が引けてきた。以前よりは他人に引っ張られなくなった。
*自分の感情を大事に、寄り添えるようになってきた(以前は、成功した体験もあまり認めなかった…)

「気づいたこと、深く学んだこと」

*幼少期、自分の居場所を得るため、親に注目してもらうために沢山の役割や決め事や、生きていくための演技を身につけていたこと…。例えば、「孤独で可哀想な母親を守ることで自分の命を守っていた」り、また「わざと悪い事をしたり、出来ない自分でいる事で親からの注目を浴びようとした」り、「甘えたくても、泣きたくても、守ってほしくても愛して欲しくても両親には届かなかったという絶望を感じないように…また孤独を感じないように身体を固めて、自分の感情を感じないように、なかった事にしていたこと」そして、心理学の鉄則である“過去と他人は変えられない”を頭ではわかっているつもりでいたが、応用の講座が終わる1か月前まで思いっきり握りしめていました。握り締めている事にすら気付かなかったし諦めているつもりでいました。でもまだまだ両親が変わってくれることへの期待もしていたし、過去を美化して母親を女神化して心理的に母親から離れられずに、特に母親を握りしめていたのです…。

お正月に、母親とちょっとした事で口論になり自分の想いやもっとわかって欲しかった事などぶちまけました!が、相変わらず言い訳や人のせいにしたり、母親の天敵である姑に似ていると言われ、私の話など一切聞かずに、自分自分自分の人でした。思い起こせば物心ついてからあまり受け止めてもらった記憶はないです。いかに自分が理想化と妄想の中で生きていたのか!と目が覚めました。しかし母親が大好きだったし、なんとしても可哀想な母親を助けたかった幼少期の自分の気持ちやファイトは自分自身で受け止めてあげたいです!!

姑に虐められ、夫からパワハラやDVを受ける母親が可哀想で、私は幼少期からずーっと母親の心配をして生きてきました。だから私にとって「心配をする事」は慣れ親しんだ感覚だし、母親と繋がっていられる感覚でした。また家族の中での自分の役割でもありました。そして母親を守らないと自分の命も危ないと思ったのかもしれません。

この感覚は大人になっても持ち続けていて、物理的には母親と離れて暮らしていても、心理的には未だに母親を目の前に置いていました。「可哀想な母親を心配する感覚や役割」から降りていなかったので、特に何があった訳でもないのにわざわざ心配事を自分から見つけに行って拾ってきては悩んだり心配したりしていました。この心の癖があると、毎日何かしらで悩んでいてとてもしんどかったので気づけて良かったです。そしていい加減にその役割から降ります!!(基礎の感想にも母の母親がわりを降ります!と書いてありました…。なかなか手強い感覚でまだ降りていなかったようです。。。)

しかし可哀想な母親と思っていたけど、、無意識にしろわざと私に「可哀想な母親」を見せつける事で、私を味方にして家の中で孤独にならないようにしたり、慰められたり、私が言うことを聞くようにコントロールしていたのでは?と思った。母親も祖母の可哀想な姿を見ていたので、私はそのまんま母親の人生脚本を歩いているのだと思う。

問題なのはここからで……今、私も自分の娘や息子に可哀想な姿を見せつけていたのではないか??と思ってしまった。「育児辛い…孤独だ…しんどい。(わざわざネットやテレビからマイナスな情報を拾ってきては、落ち込んで悩んだりしていた…)」と言ってメソメソしていたので、母親が私にしてきた事が連鎖し始めているのでは?という事が恐ろしくなり、辞めようと決めました!子供達は4歳児と2歳児なので、それはまだまだ手がかかりしんどくなる事も時にはあるし心配もするけれど…以前のような異様に悲壮な感じや、辛さは少し軽くなり自然体になって来たような気がします。

「印象に残ったこと」

*幼少期に身につけた「生きていくための家庭での役割」や「見てもらう為の演技」を大人になってまで、わざわざ両親を目の前に置いてやっている労力の無駄さ。しかし本人達は無自覚であるのでそこの切なさ。
*「生きる」「考える」「信頼できる仲間と会話する」ことの楽しさ
*本質を見極める楽しさ

「自分の取り組んだ問題やテーマをどう解決してきたか」

元々、産後鬱、起床すぐの動悸やパニック症のような症状、子育て中の孤独や行き詰まりを感じてリトリーブの講座を受けました。そんな中で、未だに「幼少期に身につけた出来ない自分でいる事で母親に見て貰おうとする」ことや「責任を取りたくないから、自分自身でパニックにさせて自分を分からなくさせる」ことを自分が選んでやっていたことに気付きました。それは幼少期に生きていくため身につけた術であって、[今私は大人なんだ!私は”自分で”子供を育てていくチカラがあるし、考えていくチカラがある!だから私は”自分で”考えて行動していく!!]と”決める”ということをして生活しだしたら、前よりも自分に余裕が持てて動悸やパニックがなくなったこと、また落ち着いて考えられるようになった気がします。つくづく決意するって大事なんだなと思った出来事でした。

「これまで受けてきたセラピーやセミナーとの違い」

ただ教えてもらうというだけじゃない。自分が子育て(自分育て)されている感じ。といっても、依存させてしまったら元も子もないので、”知識””オープンセッションを見る”、”自分がセラピスト役になる”等色んな角度からアプローチして成功体験を積んで行く。今まで積み損なった成長の過程を講座を通して積み上げていく。講座中も色々なメンバーと掘り練をするので、人と話すことや興味を持つことも楽しくなってくるし慣れてくる。現実社会の人とのコミニケーションの練習にもなる。現実を生きていけるような地道なトレーニングや成功体験を積むので、地盤が固くしっかりする。などなど自立して自分のチカラで歩いていくためには凄く受けて良かった!

 

「セッションやセミナーを迷われている方へのメッセージ」

自分の事ってわかってる気でいても、ほとんどわかってなかったりします。リトリーブは自分が自分自身についていた嘘まで見つかったり、演じていただけだったり、本当に身包み剥がされます。笑
ちょっと衝撃的な自分だったり、純粋な自分だったり色々な自分に出会えて。。自分が愛おしくなります!本当の意味での”成長”を感じることが出来ます。人生でここまで自分自身に向く機会ってなかなか無いと思うので試してみる価値は存分にあると思います!

 

「カズ姐さんとアシスタントさんへメッセージ」

*カズ姐さん、ますみさん、あやさん、ヤコーさん、くぼじゅんさん、ようさん、基礎から引き続き応用6期でもお世話になりました。ホンワカ癒しの基礎から一変、今思えば最初の頃は基礎のスタンスで受け身な気持ちで通っていたので、、「気づくだけじゃダメだ!どうなりたい?どうなりたい?自分の人生はあなたしか決められない」と言われる事が凄く苦痛でプレッシャーでした…。(今考えたらおかしな話なんですが…「そんな事言われても、どうなりたいかなんてわからない」と思っていました(^^;;)
一時期は見捨てられたような感覚や、他人に対する恐怖が増したような感覚がしてしんどかった時期もありました。だけどいつも励ましてくれたりヒントを下さったり、話を聞いてくださってありがとうございました!

 

応用6期の講座が終わってみて普通の生活に戻ってみて、ふと”自分の頭で考えて行動している自分”があったり、前ほど失敗を恐れていない自分でいました。また、リトリーブのセラピストさんのブログなどを読んでいたら、あんなに私を追い詰めてくるw「どうなりたい?」と言うワードが温かくスーッと私の心に寄り添いながら入ってきて、この歳になって本気でどうなりたいかを自分に問いています。今まで自分を生きていると思っていたけど生きていなかったようでした…。まだまだ志し半ば!これからも皆様とリトリーブサイコセラピーの理解を深めていきたいし、自分を見つめて行きたいのでご指導のほど宜しくお願い致します!!